2017/01/20

読書という瞑想

いつか読んだ本で、カートヴォネガットが言っていたことを思い出している。
確か、『ヴォネガット、大いに語る』 だったかな、
“巷では瞑想が流行っているようだけど、それよりもみんな本を読んだらいいのに。
本を読むのは瞑想だ。”というようなことを言っていた(と、記憶している)。
その時は、ははは、確かにね、くらいにしか思わなかったんだけど、
今は深く、うん、わかるわかる、そうだよね、と思う。
『いいかげん人生術』 の秋山さんはゲームは瞑想だって言ってたなぁ。
同じようなことなのかもしれない。

特に物語を読んでいて、最近それを強く感じる。
物語って、潜在意識にはたらきかけているのだなと。
読んだらなにかがわかるとか、勉強のためにしかたなく、とかではなくて、
(もちろん知識を得るための読書でも自分がワクワクするものならいいのだけれど)
物語を自分の中で自分の方法で再生しながら、それそのものをただ楽しむ。
ページを開き、目の前に広がる本の世界に没入する。
そうすると、何かを理解するとか解釈するとかそういう意識レベルではなく、
知らず知らずに潜在意識に作用している。
それが目に見える世界にすぐにあらわれることもあるし、
何年も、何十年も経ってから、ふとした時にあらわれでることも、ある。
だから、自分にとっておもしろいと思えるものならなんでもいい、
とにかく本を読むこと。
おはなしって、みんな本当は好きなんじゃないのかなぁ。
ま、実際に瞑想するのもとてもいいし、ゲームをしたっていいよね。
走るのもいいし、釣りなんかも見てると瞑想的な感じがする。

私にとっては本を読むのが好きで楽しくてしかたがないから読んでいる、
ただそれだけ。
でも、それってとっても大事なことだ。
そういえば、書くのも楽しい。書かずにおれない。

2017/01/19

あたらしい移住日記

昨年末、地震のあったすぐ後くらいに、エムエムブックスの福太郎さんが
お店にお越しくださった。
白線文庫のころから数年来、ずっとやりとりはしてきていたのだけど、
お会いするのは初めて。
帰られる前に少しお話をして近況などを伺う。
その時ちょうど、奥様のみれいさんの日記本の第三弾が出版される直前、
執筆が佳境というお話など。
私は前の二冊を読んではいなかったのだけど、
二冊目が他でもない、福太郎さんとの結婚のころのことを日記に綴った結婚日記。
そのころは、日記の中でも毎日のように褒めてくれていたのに、
今じゃあ3日に一回は悪口ですよ、と福太郎さんが冗談まじりに
おっしゃっていたのがとてもおもしろかった。
夫婦や家族って、お互いの成長のための本当によくできたシステムなのだと思う。
試されてるなぁ、忍耐だなぁ。なんてことばっかりだ。

さてその後すぐに、本屋さんで平積みにされているのを見つけ、
あっ、これこれ、と思って手に取り読ませてもらったのだけど、
移住(故郷への引っ越し)、親との死別、新しい場所で新しいお店のオープン、と
私たちの辿った道と時期も内容もシンクロすることだらけでなんとも不思議な気持ち。
中でも特に印象に残ったみれいさんの言葉が。

「実際のところ、人間が住みたい場所を選ぶのではなくて、土地が、それぞれの人のもつエネルギーを欲して、人がそこに住むことになるのだなと思っている。人は自分で思っているより、もっと大きなものに動かされて、その一部として存在しているような気がしている。」

そう書いてあるのを読んで、深く感じ入る。
確かに、そんな気がする。
私たちも、今いるこの場所に出会う経緯も含め、
すべて、その時はこうするしかなかった、という選択の連続。
何か大きな力に動かされていた時期のような気がします。
この文章のことをタケシくんに話すと、うん、そう思う。と、
これにはすぐに確信を持ってうなずいていた。
あぁ、やっぱり、“すべては完全に決まっていて、そして同時に完全に自由”なんだ。

服部ご夫妻を勝手に戦友のように感じて、これもまた、おもしろい読書体験。
時間と距離の間隔が、伸びたり、縮んだり。
本ってすごいなぁ。
やー、なんておもしろい時代!









服部みれい
『あたらしい移住日記』




2017/01/05

観たもの


『バベットの晩餐会 』[DVD]



『ノケモノノケモノ』[DVD]

読んだ本


ジュンパ・ラヒリ
『べつの言葉で』




サン=テグジュペリ
『夜間飛行』




珠寳
『造化自然 銀閣慈照寺の花』