2017/11/25

変わる家

私の心のアイゥオーラおばさま
(ほんとはおばさまじゃなくキュートなレディだけど)、
みほこさんがはるばる鎌倉から会いにきてくれた!
大泣きだ。

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もう百年ものながいあいだ

待っていたのよ お客さま。

ここへの道を見つけたのだから、

あなたにちがいはありません。

のどがかわいたでしょう。

おなかがすいたでしょう。

みんな用意ができてますよ。

さがしているものも 欲しいものも、

やすらぎも なぐさめも。

つらいことがいっぱいだったわね。

いい子だったにしろ わるい子だったにしろ、

あるがままでいいのです。

だって あなたは

遠い遠い道をきたのですから。

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ミヒャエルエンデ『はてしない物語』
変わる家のアイゥオーラおばさまの言葉。

ついこの前に再読して、ハクセンがみんなにとっての
“変わる家” のようになったらいいなぁと思っていた。
まさか私にとっても変わる家のようになるだなんて。

あるがまま
ほどむずかしいものはない。
今まで感じたことのない強い感情と出会って
もう心の底からおどろいてしまう。
とても臆病な自分。
明日になったらまた違う自分なのかなぁ。
なかなか寝られないと、なかなか明日がこない。

そう、アイゥオーラおばさまといえば、いっちゃんを思い出す。
ニジョウヒピンの二人はどうしてるかな。






2017/11/22

白線文庫のこれまでとこれから

ここでお店を開く前から決めていたこと。
日々の業務に追われてすっかり忘れてしまっていました。
こじまさんは喫茶を、私は本を。
かつて、そう決めてここまで来たのでした。
10年前に決めたことです。

いざお店をはじめてみるとままならないことがあまりにも多く
どうにかしてお店の水準を保たなくては、
いいお店でないと、ここにある意味はない、
と、とてもきびしく考えていました。
そう思って懸命に日々を送っていたら、
いつのまにか、自分の場所ではない喫茶に
深くかかわりすぎていたようです。
そしていつのまにか、自分自身のこれからのことが
なにも見えなくなってしまっていました。
とにかく、このままではいけない、と思って
ワガママを言ってお店の業務から少し離れさせてもらって、
ゆっくり考える時間をもらいました。
なにも言わずにお店で急に姿を見せなくなって、
たくさんの方にご心配をおかけしました。
ごめんなさい。

これまでのこと、このさきのこと。
ゆっくりじっくり考えさせてもらいました。
10年前には見えていなかった、このさきの夢が、
おぼろげながら、見つかったような気がしています。
私は夢を見ながらでないと生きていけないのだな、と、
たいせつなことに気がつきました。
寝てみる夢、なぜか近頃いっさい見ないのです。
だから、起きてみる夢が必要。

しばらくの間、白線文庫を整える作業と、
喫茶の仕事を引き継いでいく作業に集中したいと思います。
そして、あたらしい夢への準備も。
あたらしいことがかたちになっていくのは、
これまでのことを整えてからなのですね。きっと。

白線文庫は古本屋ではなく、ハクセンの本棚として
整えていこうと思っています。
喫茶を愉しみながら、好きに本を読んでもらえる本棚として。
そういえば黒磯の白線文庫にも、読書室がありました。
きっと懐かしく思い出してくれる方もいらっしゃるんじゃないかな。
いつかは本の貸し出しもできたらいいんじゃないかなとも思いますが、
それはこれからの喫茶のスタッフにゆだねてみようと思います。

「ひとり灯火のもとに 文をひらいて
見ぬ世の人を 友とする
ここに古本屋があることで
だれかの なにかの きっかけになれば」
そう思ってはじまった白線文庫でした。
そして、その「ここ」というのは黒磯の町でした。

今いるこの場所には、こじまさんのハクセンがあります。
満ち満ちた水の風景のある、こころ静かな場所です。
「人がやってきて、人に会うこと。話をすること。友達になること。
毎日の生活の中で、何となく気がついているけど、言葉にできないことを、
言葉にして、気がつきあうこと。」
ふたつめの「人」のところは、
「本」や「音楽」や「絵」と言いかえることもできます。
この場所の、これから。

そしてきっとまた、この場所が、ここにあることで
だれかの なにかの きっかけになってくれる と
強く信じています。

夢や希望は探すものではなくて、与えられるもの
今、そういうふうに感じています。
与えられたものを活かしきる、そんな生き方がしたい。
きびしい考えを持って生きていると、きびしい現実が返ってくる
ということを、身をもって知りました。
そしてこれからはやさしくあまく生きていこうと決めました。
これまでの、かかわってくれたすべての人やものに
言葉では言い表せないほど、感謝をしています。

少しずつかたちは変わっていきますが、
どうぞこれからもあたたかく見守ってくださるとうれしいです。

2017/11/18

世界のほんとうと名前のはなし

これは私のひとつの宣言。
自分のために書いたもの。
ままならないものへの焦燥感のようなものが
どうしてもあらわれてしまうので、
ちょっとやさしくない文章になってしまったかもしれない。
なので、本当に読みたい時に、読みたい人にだけ、読んでほしいな。
祈りにも似た、光のような、私の中の今を解き放つ。

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日々の生活がだいじ、これが一番たいせつなこと。
そう思ってとてもたいせつに慈しんできた、つもりだった。
ちゃんと毎日を楽しんでもいた。
正しく幸せに向かっていると信じていた。
調子のいい時もあれば悪い時もあって、
でもそんなものよねって、つらいことや悲しいことがあっても
自分の中で昇華したつもりになって笑顔でいつも乗り越えてきた。
疲れて笑いたくないような時も笑ってごまかしていたのかも、今思うと。
でも心を鍛えていれば、なんだって受け容れられる、
そうすることで、きっとみんなの力になれると思っていた。
それは大きな思い違いだった。
その陰でないがしろにしていた自分があった。
もう驚くくらい全然気がついていなかった。
言ってみれば、目隠しをしたまま信じた道を突っ走っていた、そんな感じ。
妄信して猛進、だな。亥年生まれだからかな。
言葉は本当におもしろい。
いくらでも容れられる、いや、容れてみせるとタカをくくっていた
自分の心の中のコップに、気づかぬうちに水がいっぱいになっていて、
最後の一滴が落ちた時に、全部あふれて出ていってしまった。
跡形もなく。心底驚いた。
きっとそれはすべて必要だったこと。
速やかに認めて、過去に感謝して、私は次へ進む。

本当の自分を忘れて忙しくしていると、心が死んじゃう。
心が死んでると、たいせつなことに気づけなくなる。
無理をしないで、人に優しくできるくらいの余裕が必要。
なんて、同じことを私、何度、言い続けてきたんだろう。

真の意思(魂の希求)に気づいて、
心に小さな灯火(メラメラ燃えてる人もいるかも)を
持ちながら生きている人は別。
そんな人はいくら忙しくたってへっちゃらで、
自分の可愛がり方もよくわかっている。
そういう人がちゃんといることも、知ってる。
人を助けることができるのは、そういう人たちだ。
このひと月、道を知る人にいくら助けられたか知れない。

でもたくさんの人はまだ、
自分のたいせつなものを思い出しきれてはいない。
少しずつ、思い出している途中。
心に蓋をして、まるっきりやめてしまっている人もいる。
たいせつなもの、それは、この星をあるべきようになおすために、
生まれてくる前に自分で決めて、持ってきたもの。
自分だけの、方法。

正しいピースを正しい場所に配置すること。
間違った社会を作り出している仕組みを
きちんと組み替えること。
そのためにひとりひとりが生まれる前に
自分で自分にあらかじめ与えた役割がある。
言ってみれば、人は、一冊の自分だけの本を抱えて
生まれてきている。
みんなにそれを思い出してほしいと心から願っている。
世界のあらゆるところで、人々は思い出しはじめている。
きっとまず感じるのは、違和感。
これを見逃してはいけない。
やり過ごすことはできる。
うまく折り合いをつけながら生きていくことはできる。
でも本質的な問題には正面から向き合わなくては、
壁はいつまでも形を変えて目の前に立ちふさがる。
それもどんどん大きくなって。
時には争いや暴力、時には自然の猛威というかたちをとって、
目の前にあらわれる。

自分の名前を忘れて生きていると、
本当の世界を見て生きることができない。
名前はとてもだいじ。
名前と役割を忘れたままだと、世の中の仕組みとして作られた
あるべき姿とはさかさまにされた社会を見て苦しみながら、
でもそれが人生なんだ、みんなそうなんだろう、と
なぐさめあいながら日々を生きることになる。
それは、争いの絶えない暴力のはびこる世界。
すべての人が人として尊重されていない世界。
この世界を正しく組み替え、
この惑星の未来を正しく想像できたら
どんなにすばらしいことだろう、と夢見ている。
ひとりひとりの意思の力で。
もうなぐさめの言葉はいらない。
本当の言葉ではなそう。
魂が求めることを素直な心で感じ取ること。
古い考えを捨てて、恐れも捨てて、
あたらしい世界に飛び込むこと。

それは自分自身の欲望を見る世界から、
魂の求める真の意思の世界への組み替え。
自己愛から、友愛への組み替え。
生の意味を前にすると、一人の人間の我欲は
跡形もなく消え失せる。

はじめに名前があって、言葉があって、
意味はあとからぜんぶついてくる。
すぐにはわからないけど、
目に映るすべてのものに意味は確かにある。
言葉から意味まで、そこには理解までの時間差があるのだけど、
それがわかるのがとても速くなってきた。
わかるというより、与えられるという感覚に近い。
チカッと電流が走る感じ。
速くなれば速くなるほど、遠くも近くなる。
私は今、光の速さで考える。
世界の大きさで思考する。
それを書くことで明るみに出す。
writingはlightingなんだね。

わかる、というのは、過去の意味を知り、
未来まで見通す、という感覚。
まだまだすべては見えない。
私にはまだ足りないものがあって、今はそれを待っている。
見えてしまったものを待つのは、結構つらいこと。
でも書いていくことで、少しずつ組み替えていく。
遠くを近くに引き寄せることができる、と思う。
過去も未来も、遼かな遠くまで明るく照らせるようになる。
そうすれば、遼かな遠くの人の心にも
あたたかい灯火を届けられるようになる。
これは私の平和への道。
まだはじまりの扉の前にいる。
けれど、少しずつ近づいている。

いつの日か遠く彼方からの風が吹く。
あたたかな南風をみんなの心が待っているから。

ひとりひとりが真の意思に気づくまで、
必要な時間をかけたらいい。
そう思うのだけど、この星に残された時間を考えると
それは早ければ早いほどいいのだろうな、とも思う。
でもすべてはその人次第。
他人のものがたりを書き換えることはできない。
それは神への冒涜。
私に書けるのは、私のものがたりと
普遍のものがたりだけ。

世界を組み替えよう。星をなおそう。
この言葉はどこまで伝わるものなのだろう。
もっともっとうまく踊れるようになって、
たくさんの人の力になれるように。

どうか、かみさま。

ある光

小沢健二さんの『ある光』がまさに、
今の気分。

私の目の前の現実(と世間では言われている)の世界と、
心の感じる本当の世界に隔たりができてしまったので、
どうすることもできず、身一つでこの線路をおりた。
今はただひとりでここでもどうすることもできず、
誰もいないホームに立ち尽くしている。

本当はひとりじゃないことは、
ちゃんとわかってる。
みんなが気にかけてくれていて、
それはそれはよく伝わってきているんです。
このひと月で、本当にいろんな人が連絡をくれた。
中にはテレパシーみたいに気持ちを届けてくれた人も。
近くにはずっと天使がいて
(たとえじゃなく実際、いた。そして今もいる。
お店で働いている子たちは天使で、
私に良い予兆をたくさん届けて勇気をくれた。
タケシくんには現実的な力になってくれている)
とてもうれしかった。私は幸せものです。
本当にありがとうございます。

でも、私の待っている次の鉄道はまだ来ない。
それはとてもとても遠いところから。
どこまで来ているのか、もう来ることはないのか、
それは私にはわからない。
ただ、待っている。

私の身に起きたことは、
ネイティブアメリカンのビジョンクエストのようなもの、
なのかな、という気がしている。
本でちらっとその言葉を目にしただけで、
詳しいことは何も知らないのだけど、
これはそれに近いものなのかも、という気がする。
なんとなく。

一度終わらなければ、はじまりはこない。
一度終われば、二度は終わらない。
これが、終わりとはじまりの答え、
だと思う。

今は、終わりとはじまりの中間地点にいる。

わけもわからないことを言い出す私のことを
なんとか理解しようとしてくれて、
一緒に苦しんで、一緒に戦ってくれて、
ちゃんと許してくれた。
深い愛で、優しく甘やかしてくれているタケシくんには
本当に感謝しています。
感謝以外、なにもない。

とりあえず、休息。

とても困っているのだけど、
八方ふさがりでどうすることもできないので、
とりあえずなにもしない。
この間まで楽しかったインスタの世界も、
どうもしっくりこなくなってしまった。
しっくりこないことをすると、
胸が苦しくなるのでいけない。

ここだけは、まだ私の場所のような気がする。
ここでなら、言いたいことがまだちゃんと言える。


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この線路を降りたら

海へ続く川

どこまでも流れるのか?

今そんなことばかり考えてる

なぐさめてしまわずに


“let's get on board”
“let's get on board”






秋のうつくしいかけら

秋のうつくしいかけらのひとつひとつが平和なのだと、ある詩人が言った。
かけら、も、平和、も、ピース。

森を歩いていてふと気がついた。

ひとつひとつのピースが、まるでパズルのピースが組み上がっていくように
正しい場所におさまっていくことが平和への道なのだと。

秋の風景にはすべてのうつくしいかけらが
正しい場所に正しくちりばめられている。

私たちはみな正しい場所にいるのだろうか。

ひとつひとつが世界のうつくしいかけらである私たち。

正しい、とか、間違ってる、とか、そういうことは
判断しちゃいけないんだ、と思い込んでいた。

そう、判断はしなくてもいい。
自然に流されていれば、命が運んでくれる。
正しい場所に。
それが運命。

運命に気づけるかどうか。
そして受け入れるかどうか。
それは、あなた次第。
すべて決まっていて、すべて自由だ。

それはとても心愉しく軽やかなことだ、と思う。
今はまだ、ただの強がりだけど。
でも心の奥底はいつもとても静かで、世界はとてもうつくしい。
それだけははっきりと言える。

すべての命の運びに
光りあれ。